伊勢丹バンコクの思い出
1992年から30年近く、バンコクの一等地で営業を続けてきましたが、大きな改装もなく、遂に撤退ということになったようです。(上の写真は2013年頃。赤シャツに焼かれてやっと再開した後だったような)
この伊勢丹バンコクには8年間のタイ・ド田舎生活期間に本当にお世話になりました。
私がタイにいた2007年当時は日本の食料品をある程度の規模で扱う店はそれほど多くなく、こことフジスーパーくらいなもんでした。
バンコク在住の方ならば、色々なお店を開拓できるのでしょうが、こちら、バンコクに上京するなんて数ヶ月に1度。そうした機会に日本の香りを嗅ぐにはこの伊勢丹バンコク店が結局のところ一番だったのです。
特に上層階のスーパー(6階)と紀伊國屋書店(5階)は、無くてはならない存在でした。
紀伊國屋書店は多少割高ではありますが、日本の本屋と何等変わりない品揃えとスピードで雑誌や漫画も含め、毎回お世話になりました。そして赴任先の工場の書庫にはKinokuniyaのバーコードが付いた本がどんどんたまっていっていました。
6階のスーパーには近所のスーパーでは取扱のないものがたくさんあり、コーヒーや緑茶、七味唐辛子なんてのも最初の頃はここで買ったように思います。
タイ国内だけでなく、周辺国や遠く中東の地へ赴任している日本人にとっても、バンコクの伊勢丹は食料基地として大切な存在でした。空港まで冷凍品、冷蔵品を綺麗にパックして送り届けるサービスをしていたのもその象徴でしょう。数ヶ月に1度の休暇でバンコクまで来て、伊勢丹で食品や本を買って、また戻っていく赴任者や家族がとても多かったようです。今でこそKindleなどで日本の本や雑誌はすぐに読むことが出来ますが、その頃はなかったので、貴重な存在でした。
今日は私の写真フォルダにあった中で一番古い2007年の伊勢丹の写真でお別れしたいと思います。
バンコク在住の上司が年に1度、ここの寿司をお土産にしてくれたりしたのも今となっては良い思い出です。この時はサンマを売っていたんですね。
ロイスの生チョコレートも確か500Bくらいで売っていて、何度か買った記憶があります。
これは今でも変わらない気がする牛乳コーナー。初めての伊勢丹で牛乳がペットボトルに入っているのに驚いて撮影したんでしょうね。
ヨックモックもありました。
ここがカップラーメン売り場でした。
考えてみれば赴任する時立ち寄り、帰国する時、お土産(マンゴーとかランとか)を買いに立ち寄っています。私にとってタイの最初と最後を過ごした場所と言っても過言ではないでしょう。
栄枯盛衰、時代の流れを凄く感じますが、きっと私と同じように感謝している日本人は多いはずです。少なくとも私にとっては特別な場所でした。本当に長い間お疲れ様でした。
デニーズで好きなもの
おっととっと夏だぜ!、から、もう20年くらい経っているのでしょうか。
未だに夏を表すのにこれ以上の言葉が見つかりません。
そんな夏真っ只中にデニーズへ。なんつっても特別な夏ですからね。でも日常です。
今回はそんな日常的なレストランのデニーズで私がたどり着いた3品をご紹介したいと思います。
一品目は担々麺!
ラーメン専門店でもない洋食中心のデニーズで何で担々麺なのか。一口食べて頂ければ、この担々麺がただ者ではないことが分かると思います。
なによりスープの濃さ!担々麺が食べたい時、まずデニーズを念頭に置くことをおすすめするほど。
二品目はカレー。確かスパイシーデリーカレーというような感じの名前だったかと思います。このカレー、人くち食べて頂ければ分かると思うんですが、ただものじゃないです。いわゆるカレー専門店のスパイシーで複雑な香味のカレーなんです。洋食屋のカレーじゃないんです。もの凄く美味しい。
正直、このカレーはデニーズで食べるべき筆頭かも知れません。そのくらい気に入ってます。
最後はこのフライドポテト、明太マヨ。
フライドポテトの太さもさることながら、明太マヨの圧倒的な美味しさ。プチプチした明太子と酸味のきいたマヨネーズのフライドポテトに絡みまくって、何本でもいける。量が結構あって、全部に付けても耐えきれるのが、ありがたい。そのくらいこの美味しさを届けたい、という思いなのでしょう。
以上です。
もっとあると思うんですけど、結局デニーズに行くとこの3品の中からどれか一つは頼んでしまいますね。
青砂ヶ浦教会 日本の最も美しい教会
先日、図書館で何気なく手に取ったこちらの本、日本全国の教会の写真が61箇所収められており、どの教会も綺麗な写真で解説もちょうど良い分量で、イイ本だなと思っていたところ、長崎五島列島上五島の青砂ヶ浦教会の写真が私が以前このブログに掲載した写真によく似ている・・・
ずいぶん似た写真が載っているなと思って、奥付を見ると写真提供に私の名前。。。忘れてました。大分前に写真の掲載について、相談されていたことを思い出しました。その後音沙汰無かったのですが、まさか図書館で出会うとは思いませんでした。偶然の出会いに感謝。きっと図書館で手に取っていなかったら絶対分からなかったと思います。
掲載頂いたのはこちらの2枚でした。ちなみにタムロンの18−270mmと40Dで撮影していました。最近持っていないのですが、また買い直そうかなと思うくらい便利ですね。
その時の記事。12年前になるんですね。てか、このブログ、続きすぎじゃね?ってくらいに続いていますよね。
Macintoshの新版画「髪梳ける女」 橋口五葉
千葉市美術館常設展で見られるこの新版画、大正時代の歌麿と呼ばれる橋口五葉の作品です(ちなみに撮影OKです)。同世代の美人画と比べると目が細くてモダンで、令和の時代でも古さを感じさせません。
この新版画、どこかで見たことあるな、と思った方、超Mac大好きでしょう。
初代MacであるMacintoshの発表会でどーんと登場したのがこちらの新版画だったんです。
搭載されたMacPaintのマニュアルの表紙にもなっています。
発表会の様子がビデオになっていましたので、是非ご覧下さい。9分50秒頃に出て来ます。
この発表会、1984年に行われており、私も今回調べる中で、映像は初めて見たのですが、初代Macがその後のPCの世界を如何に変えていったのかが、マウスを使った操作やウインドウ主体の画面などデモ内容から分かると思います。
そしてジョブズがプレゼンでやっていること、見せていることはその後のNeXTやMac、iPhoneなどの時とあんまり変わりません。変わるのは「9インチの白黒めちゃ高精細なディスプレイ搭載」とか「5インチフロッピーに変わる3.5インチフロッピーには400kbの記録が可能」とか、単位が今となっては信じられないくらい古いことでしょう。特にMacPaintのデモで今ではお馴染みのPCでマウスを使って如何に絵を描くのかを世界で初めて見た人達の拍手に感動します。
なにより、この時のジョブズの年齢、若干28歳。自分が年を重ねれば重ねるほど驚嘆しますね。
そんなジョブズが気に入っていたのが、日本の新版画。発表会の前年に日本で買い求めた上記の作品を採用し、Happy Macなどアイコンを描いたスーザンケア女史が白黒化したそうです。
千葉市美術館以外でも収蔵していますので、ぜひ1度ご覧下さい。
梅雨の晴れ間
早いこと梅雨明けして欲しいですね。