リスボン=リシュボアは坂の町

リスボンは本当に坂の多い町でした。
長崎のようです。



朝ご飯はたくさんのパン。


この日も天気は最上。



この日の丸の意味はおそらく後述する津波と関係があるのだろう。







リスボン名物のエッグタルト。これを食べねばリスボンに来たことにはならないといわれるが、
KFCで売っているものの方が甘くて美味しいとみんな言う。



4月25日橋。カーネーション革命により独裁体制が終わるのは1975年4月25日のこと。
瀬戸大橋と同じ鉄道道路併用橋。ちなみに車でリスボンへ入るには1.35ユーロで外に行くときは無料です。















リスボンで驚いたのは1755年の地震津波で市街は破壊され、6万人以上の死者を出したこと。そしてそれが当時スペインと並ぶ強国だったポルトガル没落の大きな要因となり、その後のポルトガル経済に大きな影響を与え続けているということ。当時の哲学者たちの思想の大きな転換点となったこと。


上の写真の多くは地震後に再建されたバイシャ・ボンバリーナと呼ばれる地区。ポンバリーナとは、地震後のリスボン復興と再開発を指揮した宰相の名から。建物には耐震性が盛り込まれ、火事にも強い作りになっているという。