飯野賢治さんのこと
まだ全く信じられないし、信じたくもないんだけど、本当になくなってしまったのか。
以前ここでも書いたように、飯野さんにはゲームを通じてではなく、ラジオを通じて大きな影響を受けた。
1996年頃に土曜深夜の2時から3時に東京FMでやっていたラジオ、ナイトワープ。
この番組で知った人、音楽や文化が今の自分の興味の対象のベースとなってるのは間違いない。
あの暗黒ともいえるような時代の心を支えてくれたラジオの一つだ。
もう一つはもちろん伊集院のラジオだけど。
あっちが中学生の心の陰の部分を支えてくれたとすると、こちらは陽の部分を加速させてくれた。
パッと思い出してみても、
電気グルーヴ、明和電機、YMO、KRAFTWERK、矢野顕子、糸井重里、清水ミチコ、大槻ケンヂ、
みうらじゅん、斉藤由多加、しまおまほ…おおお。多分もっと居ると思うな。
ホント、どんだけ今の自分のベースの初めのきっかけを与えてくれたのかわからない。
その後、ブログを通じて文具や写真の話やマックの話など何度か直接メールでやり取りしたこともあって
日本に帰ったらなんらかの形でお会いできればなあと願っていたんだけど…
残念でなりません。ただそれだけです。いやほんとに若すぎるよ。