2018-05-25 庄内は天国(8)本間様には及びもせぬが

江戸時代のお話に「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」というのがありまして、殿様以上にヤバイ財力を持ってたのが庄内地方で色々ビジネスを展開していた本間様です。江戸時代のお話に「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」というのがありまして、殿様以上にヤバイ財力を持ってたのが庄内地方で色々ビジネスを展開していた本間様です。

 

本間さんは北前船交易によるいわゆる運送業、金融業この辺りでじゃんじゃん稼いでおりました。しかし偉いのは儲けたMoneyを地域の為にじゃんじゃん寄付。儲けたら社会に還元して、結局は自分に戻ってきてさらに繁栄するということをやっておりました。まさにCSRによる勝者。今ならCSVですか?まあそういう流行りの言葉ができる遥か前から実践していたということですね。そのおかげでいまだに酒田の人からは本間様本間様と確実に様付けで呼ばれるほどの存在になっているようです。

 

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こちらが本間さん家です。松がでかすぎますよね。そのうち松に乗っ取られそうです。内部は撮影禁止。ちょっと残念です。 

[本間家旧本邸 http://hommake.sakura.ne.jp/]

そんな本間様の別邸が戦後初の私設美術館として整備して公開されております。

1947年5月、戦後初の私立美術館として本間家別荘の木造二階建ての建物と19,800平方メートルの庭園の開放を受け開館する、運営は本間家の係累のほか、地元の有志らによって立ち上げられた「酒田美術協会」が担い、初代館長には日本刀研究の第一人者として知られる本間順治が就任した。

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その前に。本間さんち近くの団子屋さんのこの黒蜜うぐいすきな粉団子という色々付け足された状態の団子がすごくうまい。しかもこれで250円とかそのくらい。あまりにも酒田はいい。やはり天国。

 

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話が逸れました。こちらです。本間美術館。

 

本間家では、奢侈を戒め、質素倹約に努めることを家訓とし歴代当主も遵守してきたことから、収蔵品はおしなべて質実剛健である

 

確かにおっしゃる通りで、収蔵品は派手さはありませんが、いい感じなものが多かったです。

 

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何より楽しかったのは庭園。

本間氏別邸庭園(鶴舞園:かくぶえん)]>[/ 文化十年(1813)、四代・本間光道が築造した鳥海山を借景とする池泉回遊式庭園。池の中島に鶴が舞い降りたことから、藩主酒井侯により「鶴舞園」と名づけられています。庭園の整備は、冬期間に港で働く人々の失業対策事業として実施されました。北前船が運んできた佐渡の赤玉石や伊予の青石などを配した、初夏の白ツツジ、秋の紅葉が美しい風情豊かな庭園です。

 

 

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酒田を代表する庭園です。いや、ほんと規模も質もセンスも手入れも素晴らしかったです。

 

f:id:p0lar-star:20180501143126j:plain二階からの景色も素晴らしい。椅子が一客だけ置いてあります。

 

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梅の木の欄間。影だけに鶯が現れる。欄間好きにはたまらない。

 

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というわけで、春夏秋冬楽しめる本間美術館。美術館と庭園がコラボする先例でもあるかもしれませんね。戦後すぐに色々な事情があったにせよここまで続いていることにやはり本間様のお力を感じずに入られませんね。

 

本間美術館 

http://www.homma-museum.or.jp

 

なお、本間ゴルフは本間様の末裔がやっていたそうで、酒田にも工場があったそうです。記事を書くにあたって、それを検索して発見したんですけど、なんとあの西部警察の酒田ロケがあったんですね。完全に記憶の彼方に押しやられていましたが、その中で本間ゴルフの工場もバッチリ登場したそうです。あと、犯人のアジトが山居倉庫だったそうで・・・。あの倉庫、アジトとして使うの無理だろ!!

 

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