オリンピックと私



オリンピックについて、私は非常に思い入れがある。人生観が変わる出来事はなにか?と聞かれれば2000年のシドニーオリンピックだったと即答できる。今回はいつもと雰囲気を変えて、どのように人生観が変わったのかを書いておこうと思う。


私は高校三年の時、なんだかんだいいながらも自分の将来に対する不安と云う物でいっぱいだった。まあ誰もがそうだろうけど、入試とか進路なんていうものを軽々しくは考えられない風潮だし、外見では見せていなくとも、またその時は気付かないまでもいま考え直すと明らかに不安と云う感情が自分を支配していたのだと思う。たぶん。


そんなとき日曜の深夜GetSportsという番組においてソフトボール特集が組まれ、日本のエースとして活躍する石川多映子を知った。いままでの経歴、ソフトボールと云うもの、宇津木監督以下の日本代表メンバー、アトランタでの腑甲斐無い成績などおよそ心を動かすには十分な下知識が入った上で、シドニー五輪を迎えた。


青いバーに黄色い文字表示がシドニー五輪の印象として焼き付き、開会式のマオリの最終走者や聖火台の仕掛け等、楽しむためには必然の舞台が用意されていた。


そして本番。予選にて強敵アメリカに30年ぶりに勝利。投手は石川。万全のピッチングとはいえないものの、再三のピンチを全員のプレーで切り抜けて行く。本当にいい試合だった。


順当に勝ち上がり、決勝。相手はまたも強敵アメリカ。勝てば金メダル。投手は増淵。準決勝からの連投である。アメリカの投手リサに全く歯が立たない日本。しかし増淵も得点は許さない。そんななか、宇津木麗華がソロホームラン。勝てる。みんながそう思った時、シドニーに降り続けた雨が涙の雨に変わる。アメリカは一点を入れ、同点。延長戦に突入。その際増淵>樹理への交代が一瞬送れ、最後は雨の影響かレフト小関の落球。あえなく日本はサヨナラ負け。そんなあまりにもドラマチックな試合とともに、そこで投げられなかった石川の苦闘をその後番組では取り上げた。


私はその後、実際の試合を見ようと石川の所属している日立ソフトウェアソフトボールを追いかけた。歯を食いしばるように投げる投球スタイル、宇津木監督の叱責、アメリカ戦、決勝。すべてが輝き、途方も無い憧れがあった。自分もこんなに頑張ってみたい。そんな風に思う日々が長く続いた。


そして入試。少しの開放感とともに進路を決め、女子ソフトボール日本リーグの決勝リーグの開催地、京都西京極球場に私はいた。そこは日立ソフトウェア、日立高崎、トヨタ自動織機、大徳の四チームが優勝を争う現場。


決勝トーナメント二日目、リーグ戦三位から勝ち上がった日立ソフトウェアは決勝戦、投手石川多映子。勝てば優勝の試合。相手は宇津木監督のいる最強日立高崎。この試合、石川はまたもチーム全員の熱いプレーとともにノーヒットピッチングという最高の形で勝利、日立ソフトウェアを優勝に導き、日本リーグMVPを獲得する。


そんなあまりにもあまりにもドラマチックな、人生の熱さを三か月の中に凝縮したような石川さんに触れた私は強く憧れ、心を熱くし、その後の考え方や人生観がとてもポジティブな物に変化した。


あの時の感情は間違いなく自分の中で今もいきて、私の動力の源になっている。そのきっかけになったのは間違いなくオリンピックという舞台。


北京オリンピックソフトボール日本代表選手にシドニーメンバーはもう一人もいないが、監督はシドニーで予選1試合目のキューバ戦でホームランを打った斎藤春香、コーチには、いつでも全力疾走と2000年決勝リーグでけがをしながら全力プレーしていた姿が強く印象に残る田本愽子がいる。


シドニー(銀)とアテネ(銅)での雪辱をはらすことの出来る最後の大会となる北京。今回もあの時と同じ気持ちですべての試合を見ていきたいと思う。